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何でしょうこの宇宙人が心に直接話し掛けてくるような感覚は
これは貴重な音声だな。それにしても群馬弁がでてるなw
この朗読の音声は晩年のお声だそうですね…!この時代まで音声が残っているのに感動しました
笑ってしまいましたが、月に吠えるの序にある通り、「言葉や文章では言ひ現はし(ママ)がたい複雑した特種の感情を、私は自分の詩のリズムによって表現する。そのリズムを無言で感知することのできる人とのみ私は手を取って語り合ふことができる。」とあるので、少し真面目に考えてみると、プラトンの言うところの美の真実在への憧れへの飛翔を春の夜に聞こえてくるいみじき笛の音に聞いた朔太郎。またその笛の音を、仏が感じたであろう涅槃の世界の情緒にも聞いていた。キリシタンかと思っていたが、宗派というよりは宗教の妙についていくつか歌ったものがあるので、その笛の音を思い、わざとお経のようなリズムで読んでいたのかなと思いました。(独自のテンポやリズムによるディオニュソス的陶酔の想起)とか言いつつもやっぱり笑ってしまう(笑)貴重な音源ありがとうございました。
萩原朔太郎の肉声が聴けるとは!ユーチューブ様々です。自分は、パソコンを持たず、スマホも若葉マークなので、感動も、ひとしおです。ただ、朔太郎さん、端正な顔立ちに、ちょっと似合わないお声でしょうか?その昔、彼の詩の原理という本を読んだことがありますが、高校生の自分にも、それほど難解なものではなく、内容が素晴らしく、大変読み応えがあったと記憶しています。
ちょっと佐藤春夫先生に声が似てますね。すごい、ありがとう朔太郎先生。よくこんな貴重なのを残してくれました。投稿者さんもありがとうございます。
朔太郎の声は、こういう声でしたか!この声があの詩を読んだのですか??、感ずる、彼の詩の深みが益々豊かになる気がする。私はこのリズムが朔太郎の創作リズムなのだと理解した。彼の詩作のリズムが分る、素晴らしい録音でした。UP有難う御座います。
声ではなく読み方がすっごい予想通りw
これは凄いですねとても貴重です
おめえ朔太郎わかってねえわ、って感じの朗読です
ちょっと笑ってしまったでもイケメンだなー
ハンサム‼️お声はイメージと違います。🎵渋い。
乃木坂倶樂部十二月また來れり。なんぞこの冬の寒きや。去年はアパートの五階に住み荒漠たる洋室の中壁に寢臺(べつと)を寄せてさびしく眠れり。わが思惟するものは何ぞや すでに人生の虚妄に疲れて 今も尚家畜の如くに飢ゑたるかな。我れは何物をも喪失せず また一切を失ひ盡せり。いかなれば追はるる如く歳暮の忙がしき街を憂ひ迷ひて晝もなほ酒場の椅子に醉はむとするぞ。虚空を翔け行く鳥の如く 情緒もまた久しき過去に消え去るべし。十二月また來れり なんぞこの冬の寒きや。訪ふものは扉どあを叩のつくし われの懶惰を見て憐れみ去れども石炭もなく煖爐もなく 白堊の荒漠たる洋室の中 我れひとり寢臺に醒めて白晝もなほ熊の如くに眠れるなり。殺せかし! 殺せかし!いかなればかくも氣高く 優しく 麗はしく 香はしく すべてを越えて君のみが匂ひたまふぞ。我れは醜き獸けものにして いかでみ情の數にも足らむ。もとより我れは奴隷なり 家畜なり君がみ足の下に腹這ひ 犬の如くに仕へまつらむ。願くは我れを蹈みつけ 侮辱し 唾つばを吐きかけ また床の上に蹴り きびしく苛責しああ 遂に――わが息の根の止まる時までも。我れはもとより家畜なり 奴隷なり悲しき忍從に耐へむより はや君の鞭の手をあげ殺せかし。打ち殺せかし! 打ち殺せかし!
ああ浦!浦! の浦ってなんだろうってずっと思っていたのですが、吉増剛造さんの解説で、ある大きな女性像のようなものだと仰っていて、なるほどと納得しました。調べるとulaとはラテン語で女性を意味する?(よく知りませんが)らしいですね。
朔太郎は晩年文語体の詩集を出した。親友の三好達治が大反対したらしいが受け入れなかったそうだ。録音後の写真が残っている、この映像より老けた感じだが、最晩年は痩せてしまって別人のような感じだ。
詩人が、よくこの録音を残してくれたと感謝しています。ですが、大詩人に、こんなこと言っちゃ大変失礼だと思いますが、ヘタだなあ~!これじゃ、どんなオーディションも落ちるでしょう。あ、私は朔太郎とその作品にいささかもケチなどつけるのではありません。中学時代に知ったときから、好きとか嫌いとか言うことさえもむずかしいほど私の精神の深層の根幹にしっかりと組み込まれてしまった詩人ですので。自分の文学作品を朗読する場合、ヘタとか上手とかの評価は意味を持ちませんね。そんなことより、なにしろ作った本人が「音読」してくれていることが、最大の価値です。(それでも、上手な方がいいだろう、とは思いますけどね)しかし、他の人が朗読する場合は、もちろんこれを真似してはいけませんが。驚いたのは、酒場を「さけば」と読んでますね。といっても、私は東京人なので、周囲はみんな「さかば」派なのですが。関東一帯から日本全国では、かえって「さけば」のほうがポピュラーなのかもしれませんね。
前橋文学館で同じ肉声が聞けます。
アアアァァ( °∀°)ァァアアアさくたろぉぉおおおおお
どこの陣内孝則ですか
国会中継みたい
ひどく淡々とした感じだな。著者たる立場を弁へて特定の解釈を強ひることがないやうにせんと欲したのではないであらうか。
もどり川のモデル, ?
何でしょうこの宇宙人が心に直接話し掛けてくるような感覚は
これは貴重な音声だな。それにしても群馬弁がでてるなw
この朗読の音声は晩年のお声だそうですね…!この時代まで音声が残っているのに感動しました
笑ってしまいましたが、
月に吠えるの序にある通り、
「言葉や文章では言ひ現はし(ママ)がたい複雑した特種の感情を、私は自分の詩のリズムによって表現する。
そのリズムを無言で感知することのできる人とのみ私は手を取って語り合ふことができる。」
とあるので、少し真面目に考えてみると、
プラトンの言うところの美の真実在への憧れへの飛翔を
春の夜に聞こえてくるいみじき笛の音に聞いた朔太郎。
またその笛の音を、仏が感じたであろう涅槃の世界の情緒にも聞いていた。キリシタンかと思っていたが、宗派というよりは宗教の妙についていくつか歌ったものがあるので、
その笛の音を思い、わざとお経のようなリズムで読んでいたのかなと思いました。
(独自のテンポやリズムによるディオニュソス的陶酔の想起)
とか言いつつもやっぱり笑ってしまう(笑)
貴重な音源ありがとうございました。
萩原朔太郎の肉声が聴けるとは!
ユーチューブ様々です。
自分は、パソコンを持たず、スマホも若葉マークなので、感動も、ひとしおです。
ただ、朔太郎さん、端正な顔立ちに、ちょっと似合わないお声でしょうか?
その昔、彼の詩の原理という本を読んだことがありますが、高校生の自分にも、それほど難解なものではなく、内容が素晴らしく、大変読み応えがあったと記憶しています。
ちょっと佐藤春夫先生に声が似てますね。
すごい、ありがとう朔太郎先生。
よくこんな貴重なのを残してくれました。
投稿者さんもありがとうございます。
朔太郎の声は、こういう声でしたか!この声があの詩を読んだのですか??、感ずる、彼の詩の深みが益々豊かになる気がする。私はこのリズムが朔太郎の創作リズムなのだと理解した。彼の詩作のリズムが分る、素晴らしい録音でした。UP有難う御座います。
声ではなく読み方がすっごい予想通りw
これは凄いですね
とても貴重です
おめえ朔太郎わかってねえわ、って感じの朗読です
ちょっと笑ってしまった
でもイケメンだなー
ハンサム‼️お声はイメージと違います。🎵渋い。
乃木坂倶樂部
十二月また來れり。なんぞこの冬の寒きや。
去年はアパートの五階に住み荒漠たる洋室の中壁に寢臺(べつと)を寄せてさびしく眠れり。
わが思惟するものは何ぞや すでに人生の虚妄に疲れて 今も尚家畜の如くに飢ゑたるかな。
我れは何物をも喪失せず また一切を失ひ盡せり。
いかなれば追はるる如く歳暮の忙がしき街を憂ひ迷ひて晝もなほ酒場の椅子に醉はむとするぞ。
虚空を翔け行く鳥の如く 情緒もまた久しき過去に消え去るべし。
十二月また來れり なんぞこの冬の寒きや。
訪ふものは扉どあを叩のつくし われの懶惰を見て憐れみ去れども
石炭もなく煖爐もなく 白堊の荒漠たる洋室の中 我れひとり寢臺に醒めて
白晝もなほ熊の如くに眠れるなり。
殺せかし! 殺せかし!
いかなればかくも氣高く 優しく 麗はしく 香はしく すべてを越えて君のみが匂ひたまふぞ。
我れは醜き獸けものにして いかでみ情の數にも足らむ。
もとより我れは奴隷なり 家畜なり
君がみ足の下に腹這ひ 犬の如くに仕へまつらむ。
願くは我れを蹈みつけ 侮辱し 唾つばを吐きかけ また床の上に蹴り きびしく苛責し
ああ 遂に――わが息の根の止まる時までも。
我れはもとより家畜なり 奴隷なり
悲しき忍從に耐へむより はや君の鞭の手をあげ殺せかし。
打ち殺せかし! 打ち殺せかし!
ああ浦!浦! の浦ってなんだろうってずっと思っていたのですが、吉増剛造さんの解説で、ある大きな女性像のようなものだと仰っていて、なるほどと納得しました。調べるとulaとはラテン語で女性を意味する?(よく知りませんが)らしいですね。
朔太郎は晩年文語体の詩集を出した。親友の三好達治が大反対したらしいが受け入れなかったそうだ。録音後の写真が残っている、この映像より老けた感じだが、最晩年は痩せてしまって別人のような感じだ。
詩人が、よくこの録音を残してくれたと感謝しています。
ですが、
大詩人に、こんなこと言っちゃ大変失礼だと思いますが、
ヘタだなあ~!
これじゃ、どんなオーディションも落ちるでしょう。
あ、私は朔太郎とその作品にいささかもケチなどつけるのではありません。
中学時代に知ったときから、好きとか嫌いとか言うことさえもむずかしいほど私の精神の深層の根幹にしっかりと組み込まれてしまった詩人ですので。
自分の文学作品を朗読する場合、ヘタとか上手とかの評価は意味を持ちませんね。
そんなことより、なにしろ作った本人が「音読」してくれていることが、最大の価値です。
(それでも、上手な方がいいだろう、とは思いますけどね)
しかし、他の人が朗読する場合は、もちろんこれを真似してはいけませんが。
驚いたのは、酒場を「さけば」と読んでますね。
といっても、私は東京人なので、周囲はみんな「さかば」派なのですが。
関東一帯から日本全国では、かえって「さけば」のほうがポピュラーなのかもしれませんね。
前橋文学館で同じ肉声が聞けます。
アアアァァ( °∀°)ァァアアアさくたろぉぉおおおおお
どこの陣内孝則ですか
国会中継みたい
ひどく淡々とした感じだな。著者たる立場を弁へて特定の解釈を強ひることがないやうにせんと欲したのではないであらうか。
もどり川のモデル, ?